羽生結弦 引退

羽生結弦選手の去就 引退 その①

羽生結弦選手の去就・引退 その①

ファンにとっていちばん考えたくないこと、

それが選手の引退です。

今回、浅田選手の引退で1日わたしは憂鬱になってしまいました。

浅田選手の引退もショックでしたが、

羽生結弦選手の引退がかなりなまなましく感じられたからです。

テレビに映る浅田選手、真央ちゃんを観ながら、

わたしは羽生結弦選手をどうしても思って涙がこぼれていました。

つらいのはファンならみな同じだと思います。

ここでいかにわたしがつらいかを書いても

面白くもなんともないと思いますので、

去就がいつになるかを完全に推測の域ですが書かせていただきますね。

さて、以前、羽生結弦選手が平昌オリンピックで引退と紙面ニュースを賑わせ

わたしたちが震撼したことは、まだ記憶に新しいです。

羽生結弦選手の平昌オリンピックで引退ニュースで震撼

その時は羽生結弦選手自身で引退を否定しました。

ただこの否定は、ニュースで大騒ぎになった事態を収めるための

発言だったのではないかと個人的には捉えています。

本当にあの時は大騒ぎになったので。

ただそれでもファンにとっては救われることでした。

引退を決めるのはもちろん羽生結弦選手自身です。

誰もなにも彼の意思を虐げてはなりません。

ただでさえフィギュアのオリンピック金メダリストはメダルを取ったら

引退してしまうことの方が多いのです。

まだ二十歳ちょっとで金メダルに輝いたクーリック選手、

荒川静香選手も金メダルを取りすぐやめています。

オリンピック後にすぐ控えていた世界選手権にも

出場が決まってしましたが、辞退しています。

ソトニコワ選手はいまも現役ですが、

ソチ後は一度も試合に出られていません。

アマチュアの最高峰の試合がオリンピックなのです。

オリンピック金メダリストはいわば、

一回上がりを迎え、もう一回最初からトライをすることになります。

これがどれだけ大変な事かわたしには知る由もありませんが、

数々の名スケーターのその後を伺うと

事情は垣間見える気がします。

羽生結弦選手が陥った燃え尽き症候群

羽生結弦選手もソチ後、同年の五月くらいでしょうか、

燃え尽き症候群のようなものに陥ってしまった、

とその後インタビューで答えています。

いまはもちろんその状態からは脱却しているから

告白できたのでしょうが深刻な状態だったようです。

みなさんもご存じのようにその後羽生結弦選手は

世界レコードを更新し続け、

自分自身に負荷をかけ続けることで

モチベーションを保っていたように感じられます。

構成をノーミスしたら、また構成を上げる。

怪我をした時以外、羽生結弦選手がずっと取ってきた戦略です。

怪我の影響でクワドトウループの

回数を下げざるを得なくなりクワドループを入れたので

怪我の功名ともいえますが、ずっと構成を上げてきました。

いまは多種クワドという以前だったら信じられない状況で

試合が繰り広げられるようになりましたので、

これも結果的に羽生結弦選手がトップ選手でいるための

条件付けとして有利に働いたのも面白いですが、

ですが発端はモチベーション維持の為なのです。

なにが言いたいかと申しますと、

モチベーションを維持するのがどれだけ大変な事という事です。

羽生結弦選手はソチの時まだ19歳で大変若かった。

ご本人も平昌で金という想いが強く、ソチでは取れれば良いな、

という気持ちだったと思われます。

なおのことソチでは引退できないですよね。

なので、結論から申し上げますと、八割、いや九割方、

いろいろな状況を加味し、平昌で引退かなあ、

とわたしは覚悟するように日々自分に言い聞かせています。

ただ、最近クワドアクセルを跳びたい、って仰ってたんですよね。

ちょっと前野インタビューでは、試合で入れたいと言ってました。

ワールド・世界選手権の時のインタビューでは、

来季はいくらなんでもアクセルは入れられない、そう仰っていました。

わかりますか? え、じゃあいつ入れるの?

来季じゃないって、じゃあ次? 次があるの?

……次が、あるんでしょうか?

あくまで、わたし個人としては、

平昌後一年でもいいから続けていただいて、クワドアクセルが観たい。

五輪後は出来映え点も変わるので、新しい加点で、

いったい羽生結弦選手のジャンプにどれだけの加点がつくか、

最高値の5が付くのか、すごくみたいのです。

一割ぐらいの望みですが、羽生結弦選手が本当に

クワドアクセルを試合で跳びたいのであれば、

現役続行、あると思います!

この望みがある限り、やっぱり引退のことは考えられないです。