小塚崇彦さんの祖父の小塚光彦さん(1916〜2011)は
旧満州のフィギュアスケートチャンピオン
浅田真央や宇野昌磨の山田満知子コーチや
門奈裕子さんを育てた。
父の小塚嗣彦さんは1968年の
グルノーブルオリンピック男子シングル日本代表で
母の小塚幸子さん(旧姓 坂野)さんも
フィギュアスケート選手だった。
小塚崇彦さんはフィギュアスケートのサラブレッド
フィギュアスケートの家系で
日本フィギュア業界のサラブレッドと呼ばれています。
小塚崇彦 2016年3月引退
1989年2月27日生
名古屋市出身
170センチ
コーチ:佐藤信夫 佐藤久美子
振付師:宮本賢二
中京大中京高校→中京大→トヨタ自動車所属
パーソナルベスト
SP 86.39
FS 180.79
トータル 258.41
2005 優勝 Jrグランプリファイナル
2006 優勝 世界ジュニア選手権
2008 2位 グランプリファイナル
2010 3位 グランプリファイナル
2011 2位 世界選手権
2006年 小塚崇彦17歳 世界ジュニア選手権 優勝FS動画
小塚崇彦さんは5歳のときに
佐藤有香さんの世界選手権優勝の演技を
生で観戦して魅了されたことがきっかけで
本格的にフィギュアスケートを習い始めました。
最初は両親に教わり、小学生からは
佐藤信夫・久美子夫妻の指導を受けました。
1998、1999全日本選手権ノービスB 2連覇
2000、2001全日本選手権ノービスA 2連覇
ジュニアの3年目 15歳で出場した
全日本選手権のショートプログラムで
本田武史の上をいく 1位となり
脚光を浴びるようになりました。
2005 ジュニアグランプリで初戦2位
2戦目で優勝し、
ジュニアグランプリファイナルで
日本男子初のファイナル制覇を成し遂げました。
全日本ジュニア選手権も優勝
世界ジュニア選手権でも
高橋大輔、織田信成を以来、
3人目の日本男子 優勝を達成しました。
シニアに上がると2008年シーズンは
グランプリシリーズ アメリカ杯で優勝
エリック杯で2位
グランプリファイナルに進出して
ショートプログラムでは首位でしたが
フリースケーティングで2度、転倒して
トータルで2位となりました。
2009年にバンクーバーオリンピックの
代表となりましたが 結果は8位でした。
2010年 全日本選手権に優勝して
日本フィギュアスケート史上初の
親子2代の全日本親子制覇を達成。
2013年 ソチ・オリンピックに落選後は
精彩を欠き2016年3月15日に引退しました。
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